盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 5

 

盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演してまた嘘をつき、視聴者を騙しました。

 

天下のNHKなんですから、水野仁輔さんのような詐欺師ではなく、森枝卓士さんあたりをつれてくればいいのに、と思います。皆様の視聴料を詐欺師に注ぎ込まないで下さい。

 

水野仁輔さんがついた嘘は次のようなものです。

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 

一方、森枝卓士さんはカレーが普及しはじめた時期を、いつごろと考えていたのでしょうか。

 

1989年の「カレーライスと日本人」において、森枝卓士さんは様々な証言から、家庭にカレーが普及しはじめたのは大正時代からと結論づけます(P194)。

 

”話を聞いたかぎりでは、明治三十三年、西暦一九○○年生まれの八十八歳が最高齢であったから、明治時代のカレー経験を聞くのは、ほとんど不可能だった。が、それにしてもほとんど 大正に入ってからはじめて食べた、ということで一致していた。”

 

そして、一般論として、家庭に普及する前段階として雑誌書籍などのメディアでの紹介があり、そのさらに前にレストランなど外食産業での普及があるはずだ、と述べています(P188)。

 

つまり、森枝卓士さんの推測では、外食でのカレーの普及は明治時代、ということになります。これは今まで述べてきた具体的史実と一致します。

 

これはどういうことかというと、水野仁輔さんはカレー歴史本の古典、「カレーライスと日本人」を読んでいないということです。読んでいないので、関東大震災のころに徐々に一般に広まった、という嘘でごまかしたわけです。

 

水野仁輔さんはあちこちで「カレーライスと日本人」や森枝卓士さんを引き合いに出していますが、名前を出しているだけで実際には読んでいないのです。
http://dokushojin.com/article.html?i=2167

 

様々な本や著者の名前を出して「博識である」と錯覚させ、実際にはその場その場で嘘をついて一般人を騙す。これが水野仁輔さんの常套手段です。

 

「幻の黒船カレーを追え!」においてもこの方法で詐欺を行いました。幻の黒船カレーを追え!には、大英図書館でビートン夫人の本を熟読したと書いてありますが、実際にはほとんど読まずに、写真を撮っただけで図書館を出ました。

f:id:hikaridept:20170924015349j:plain

 

なので、あたかも読んだふりをするために、WEBからコピペして盗作せざるをえなかったのです。

hikaridept.hatenablog.com

 

水野仁輔さんにとっての誤算は、盗作先の筆者もまたビートン夫人の本を読んでおらず、その内容がでたらめであったということです。このことから、盗作がバレてしまいました。

 

盗作できない部分は、想像や断片的な知識で捏造した嘘の内容を書き込みました。なので、「幻の黒船カレーを追え!」に書いてあるビートン夫人の本の内容は実際の内容と異なる、でたらめが書かれているのです。

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盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 4

 

盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演してまた嘘をついていました。

 

カレー詐欺師水野仁輔さんに騙されないように、まずは以下のエントリを読んで下さい。

hikaridept.hatenablog.com

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さて、水野仁輔さんが探検バクモンでついた嘘は、次のようなものでした。

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 

例によってこれはカレーの歴史に無知な水野さんが捏造した嘘。明治30年代以降の東京においては、洋食屋台で安くカレーが提供され、明治の末には神田などの学生街で学生が日常的にカレーを食べていました。

 

今日は、神田や本郷における洋食の大衆化についてさらに詳しく見ていきます。

 

明治38年の月刊食道楽に、「妙なうまい物案内」という連載がありました。その連載5回目に、神田と本郷の洋食屋が取り上げられています。

 

当時の神田神保町、まさに現在のカレーの聖地に、「おとわ亭」という格安西洋料理屋がありました。値段は三銭均一。物価の文化史によると明治37年のかけそばが2銭、明治39年が3銭5厘ですから、西洋料理がかけそばと同じ安い値段で食べることができたわけです。

 

その味については「あまり美味くは無かつた」そうで、値段相応といったところだったのでしょう。

 

このおとわ亭、本郷や牛込神楽坂に支店を持っていたそうです。チェーン展開ですね。支店を増やして仕入れコスト等を下げていく方式、現在のファミレスなどの元祖とも言えるかもしれません。

 

このおとわ亭のビジネスモデルをまねたのが、大正半ばからチェーン展開を行った本郷バー、さらに震災後に起業した須田町食堂(現聚楽)などのチェーン店です。

 

大正から昭和初期に、レストランやカフェーなどの外食コングロマリットを形成した本郷バーの始まりも、神田神保町でした。明治42年に、創設者岡本正次郎が雇われコックから独立して開いた、7銭均一洋食小川軒がその始まりです。

 

不幸にして小川軒を火災で失った後、岡本正次郎は本郷に店を構えました。だから「本郷バー」なのですね。その後岡本正次郎は本郷バーのチェーン展開をきっかけに、巨万の富を築きました。

 

というわけで、戦前の神田神保町は、カレーの聖地ならぬ格安洋食の聖地であり、チェーン店の聖地でもあったわけです。

 

ではそれが現在のカレーの聖地につながったのかというと、多分関係ないのではないでしょうか。

 

水野仁輔さんというカレー詐欺師の嘘にだまされたがゆえに、関東大震災と神保町のカレーの関係という間違った方向性に迷い込んだNHK。

 

天下のNHKなんですから、水野仁輔さんのような知識のない虚言癖の持ち主ではなく、森枝卓士さんあたりをつれてくればいいのに、と思います。まだまだ続きます。

盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 3

盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演してまた嘘をついていました

 

カレー詐欺師水野仁輔さんに騙されないように、まずは以下のエントリを読んで下さい。

 

hikaridept.hatenablog.com

 

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さて、水野仁輔さんが探検バクモンでついた嘘は、次のようなものでした。

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 

例によってこれはカレーの歴史に無知な水野さんが捏造した嘘。明治30年代以降の東京においては、洋食屋台によって安くカレーが提供されていたことを、昨日は指摘しました。

 

明治30年代後半になると、店舗形式の大衆的な洋食店が一部の地域に隆盛します。その洋食大衆化の先進地域が、神田でした。明治の末にすでに、神田ではカレーを安く食べることができたのです。

 

明治41年発表の夏目漱石の小説三四郎には、本郷の淀見軒という店でライスカレーを食べる描写が出てきます。

 

”昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。”

 

このころには、本郷や神田などの学生街において、学生が自分の金でカレーを食べることはあたりまえになっていました。

 

明治43年に東京帝国大学に入学した夏目漱石の弟子、内田百閒は次のように述べています。

 

”学生の時分には方方に一品料理の西洋料理屋があってカツレツ、ビフテキ、オムレツ、コロッケなど懐の小遣の都合に従って簡単に食べることが出来た”(御馳走帖

 

実際の値段を見てみましょう。三四郎に出てきた本郷の淀見軒は実在する店舗です。三四郎が発表された前年の明治40年の月刊食道楽という雑誌にその淀見軒が紹介されています。

 

淀見軒ではビフテキなどを一品12銭で売っており、他の店の二倍の大きさだったそうです。一番人気は10銭のライスカレー。いついっても学生で満員だったそうです。

 

物価の文化史によると、明治40年当時かけそばが3銭だったそうですから、ライスカレー10銭は今でいうと600-800円前後、といったところでしょうか。淀見軒のライバルの本郷の天麩羅屋の天どんが、カレーと同じ10銭ですから、当たらずとも遠からずと思います。

 

同じ月刊食道楽には神田の泉屋、淡路町の寶亭という学生むけの洋食屋について書かれています。神田の泉屋は淀見軒と同じ値段で、いつも学生たちで満員だったそうです。

 

もっとも、神田の泉屋や本郷の淀見軒はまだ値段が高い方(量が通常の二倍なので、コスパはいいかもしれませんが)。明治30年代末以降、神田や本郷などの学生街では、洋食店の熾烈な価格競争が行われていたのです。

 

「学生街であること」。それが明治時代の神田で洋食の大衆化がおこった理由でした。明日はその、熾烈な価格競争の実際について書きます。

盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 2

 

盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演してまた嘘をついていました

 

カレー詐欺師水野仁輔さんに騙されないように、まずは以下のエントリを読んで下さい。

 

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さて、水野仁輔さんが探検バクモンでついた嘘は、次のようなものでした。

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 http://o.x0.com/m/696372

 

東京においてカレーが徐々に一般に広まり始めたのは、水野さんがいうような関東大震災前後ではなく、明治30年代からです。

 

明治22年生まれの作家の久保田万太郎は、中学生の頃つまり明治30年代後半に、ライスカレーなどの洋食を食べ歩いていまし(町々…… 人々……)。

 

中学生にしては「ぜいたくな、生意気な」行為であったとはいえ、当時の浅草では、中学生が背伸びをすればカレーを食べられる状況にあったのです。

 

浅草などの繁華街限定とはいえ、カレーなどの西洋料理が安く食べられるようになったのは、明治30年代から東京に増殖した洋食屋台のおかげでした。


明治39年浅草生まれの寺村紘二は、小学6年つまり大正3年になると洋食屋台で8銭のライスカレーを食べるようになったといいます(浅草の小学生)


作家の吉川英治は、大正10年から14年にかけて新聞社に務めていました。「折々の記」には、安月給社員時代の食事についての記述があります。

 

”ぼくもまた、馳出し記者時代には、牛めし深川めし、三好野の強飯など迄、およそ、いかに安く、うまく、かつ滿腹するかに、苦心經營したものだつた。東京中の一品屋のライスカレーを食ひくらべ、どこの屋臺が最も安くて美味いかも知つた。

 

一品屋、つまり洋食屋台のカレーは、牛めし深川めしに並ぶ「安くて満腹になる」食事でした。

 

明治30年代後半になると、屋台だけでなく店舗形式で安い洋食を出す、大衆的な洋食屋が一部地域で盛んになります。

 

そして神田は、そのような大衆的洋食店が明治30年代から展開する、洋食大衆化の先進地域だったのです。

盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 1

 

 

突然このブログへのアクセスが増えたと思ったら、盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演していたのですね。

 

水野仁輔さんは盗作や捏造で一般人を騙しては、本や講演で金を取るカレー詐欺師。NHKさん、こんな人をカレー専門家扱いして、全国放送に出演させていいんですかね。

 

カレー詐欺師水野仁輔さんに騙されないように、まずは以下のエントリを読んで下さい。

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探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」の内容については、以下のサイトにスクリプトがありました。


http://o.x0.com/m/696372

 

水野さんが話した内容は次の部分だったようです。

 

>(関東大震災の)復興を支えるため飲食店も小屋を建て営業を再開。この時メニューに小さな変化があった。東京のいくつものお店でそれまではなかったカレーライスが新たに加わったのだ

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 

いつものように、息吐くように嘘をついている……

 

そもそも、この番組のテーマは神田はなぜカレーの聖地となったのか、ということ。

 

カレー粉の国産化全国区の話。関東大震災後にカレーが流行ったのは東京や横浜の話「神田」である理由になっていません。NHKさん、よくこれでGOサイン出しましたね。

 

そしてカレーが徐々に大衆化しはじめたのは東京においては明治30年代から。関東大震災前後じゃないんですよ。水野さんの説明は嘘です。

 

水野さんがカレーの歴史に関して基礎知識すら無い人であることは、以下の連続エントリを参照してください。

 

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東京の中でも特に神田はカレーを含めた西洋料理大衆化の先進地域であり、明治時代末からカレーを安く食べることのできる町だったんです。明日以降、この点について解説していきます。

カレーに関する5つのデマその5 よこすか海軍カレー:悪質なデマを流す横須賀市

カレーに関する5つのデマその5 よこすか海軍カレー:悪質なデマを流す横須賀市

 

 

 カレーに関する5つのデマの最後は、よこすか海軍カレーです。いままで取り上げてきたカレーに関するデマの中でも、その悪質さにおいて水野仁輔さんの「幻の黒船カレーを追え」に比肩するものです。

 

 もし、以下のような話を聞いたら、皆さんはどう思われるでしょうか?

 

「ある外国の都市が、最近になって突然、握り寿司をその都市の名産品とアピールしはじめた。その都市の役所によると、握り寿司は日本で生まれたものではなく、その都市で発明されたものだという。しかしながら、その主張を裏付ける資料はまったく存在しない。」

 

 自治体が他国の文化を盗むとは、なんと民度の低い人たちだ、と思うのではないでしょうか。

 

 この他国の文化の泥棒行為を実際に行っているのが、横須賀市です。

 

 横須賀市が中心になって設立された「カレーの街よこすか推進委員会」は、公式ページで日本のカレーが生まれた経緯を次にように説明しています。

 

明治17年、海軍軍医だった高木兼寛(後の海軍軍医総監)は軍艦筑波号による航海実験を行い「兵食改革」に着手しました。イギリス海軍で提供されていたカレー風味のシチューに小麦粉でとろみを付けて、ライスにかけたメニューを軍隊食に取り入れたのです。”

 

”このときに採用されたメニューが現在の日本のカレーライスのルーツと言われています。”

 

 これは、平成11年に横須賀市が捏造した嘘です。そのような史実はありません。

 

小麦粉でとろみをつけたカレーをライスにかけて食べる文化はイギリスで生まれ、日本に持ち込まれたものです。海軍が発明したものではありません。

 

・日本最古のカレーレシピ、明治5年の「西洋料理通」「西洋料理指南」でも小麦粉でとろみをつけています。海軍御用達の西洋料理レストラン精養軒の明治時代のカレーも、このタイプのものです。

 

・明治17年の筑波号の食事メニューについての資料はありません。そこでカレーライスが食べられていたことを証明する資料もありません。

 

なぜよこすか海軍カレーは、明治17年の「カレー風味のシチューに小麦粉でとろみを付けて、ライスにかけた」レシピではなく、その24年後の明治41年に発行された「海軍割烹術参考書」にもとずいて作られているのでしょうか?それは、話のすべてが捏造された嘘で、明治17年の海軍カレーレシピなど存在しないからです。

 

イギリス海軍に”カレー風味のシチュー”という料理は存在しません。海軍だけでなく当時のイギリスにカレー風味のシチューは存在しません。日本人が思い浮かべるような「カレーによく似た」シチューは、ヴィクトリア朝のイギリスには存在しないのです。

 

 以上、詳細については次の夏コミケにおける「と学会誌41」にて説明しますが、「小麦粉でとろみをつけてライスにかける」カレーが日本の海軍ではなく、18世紀末のイギリスで確立した点については、以下のエントリを参照してください。

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 さて、このよこすか海軍カレーと水野仁輔さんの「幻の黒船カレーを追え」が、数あるカレーデマの中でも特に悪質なデマであるとする理由は以下の2点にあります。

 

1.自分の利益のために、明確な悪意をもって嘘をついている。

 

2.自分の利益のために、泥棒行為を行っている。横須賀市はイギリスの文化を盗み、水野仁輔さんは他人の著作を盗作している。

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 しかし、盗作と捏造の詐欺本「幻の黒船カレーを追え」にも、評価すべき点が1点だけあります。

 

 幻の黒船カレーを追えにおいて、水野仁輔さんは呉を訪ねます。そこには横須賀海軍カレーのブースがあり、”横須賀商工会議所で海軍カレーの担当をしている職員”から水野さんはこんな話を聞きます。

 

「我々は長いこと海軍カレーの取り組みをしていますが、正直言って、そのルーツに関しては、誰も踏み込んで理解している人はいないんです」

 

 横須賀商工会議所は、横須賀市とともに平成11年に「カレーの街よこすか推進委員会」を立ち上げた主体です。

 

 その横須賀商工会議所の海軍カレー担当者が「正直言って、そのルーツに関しては、誰も踏み込んで理解している人はいないんです」と証言するということは、高木兼寛だの筑波号だのイギリス海軍のカレー風味のシチューだのが、捏造された嘘だと告白するのと同じことです。

 

 水野さんは、このことに気づかず、当人の許可もとらずに秘密の会話をばらしてしまいます(担当者の名前を忘れているということは、本に書くことの許可も取っていないのでしょう)。

 

 水野さんは期せずして、よこすか海軍カレーという平成11年に捏造された嘘を暴いてしまったのです。

 

 「幻の黒船カレーを追え」は嘘や捏造だらけの悪質な本ですが、3年前からよこすか海軍カレーのデマを追求してきた私にとっては、この横須賀商工会議所の海軍カレー担当者の証言一つだけで、もとが取れたと思っています。

カレーに関する5つのデマその4 日本郵船とカレーに関するデマ

カレーに関する5つのデマその4 日本郵船とカレーに関するデマ

 

 日本郵船は、自社のコックがドライカレーを発明したと主張していますが、これはデマです。ドライカレーは19世紀の料理書に頻出する、イギリスの古典的カレーです。

open.mixi.jp

 

 これは単に知識不足からくる勘違いだと思うので、早めに撤回した方がいいと思います。大企業としてのコンプライアンスというものがあるでしょうし、悪意はないとはいえ「他国の文化を盗む行為」ですので。

 

 日本郵船とカレーといえば、福神漬のエピソードがあります。カレーに福神漬をつけたのは、日本郵船がはじめてというものです。

 

 デマとは断定できませんが、その信憑性には疑問がつきます。

 

 まず、日本郵船側に「カレーに福神漬をつけていた」ことを示す資料が存在しません。

 

 1983年発行の「にっぽん洋食物語」(小菅桂子著)には、最初にカレーに福神漬をつけたのが日本郵船の一等食堂という話がでてきます。ただし、根拠や資料の提示はありません。

 

 小菅さんは2002年発行の「カレーライスの誕生」で再度この件をとりあげます。

 

”かつて日本郵船の広報室に問い合わせたところ、たしかにきっかけは日本郵船の一等食堂である、との答えを得たことがある。”

 

 「にっぽん洋食物語」における一等食堂の福神漬の話の出所は、日本郵船の広報でした。一等船客用のチャツネがなくなったので代用品として福神漬を出した、という話も日本郵船の広報が出所だったそうです。

 

 ではその元ネタは何かと日本郵船歴史資料館にたずねたところ、酒悦のパンフレットが出てきました。元ネタは酒悦のパンフレットで、日本郵船側に資料はなかったのです。ただし、チャツネの話は酒悦のパンフレットにも出てきません。

 

 2000年に発行された別冊サライのカレー特集号で、松浦祐子さんが「脇役賛歌 福神漬VSラッキョウ」という記事を書いています。

 

 松浦さんは日本郵船には福神漬の缶詰を積んだ記録はあるが、カレーに福神漬がついていたという記録は見つけられなかったそうです。

 

 松浦さんは、大正時代の日本郵船の船においてカレーに福神漬がついていたという証言があると書いていますが、その具体的内容についての記述はありません。誰が証言しているのか、どのような資料にそれが載っているのかについての情報すら書かれておらず、信憑性に難があります。

 

 ひょっとすると1985年に放映が開始された「謎学の旅」というテレビ番組における証言のことかもしれません。これについてはと学会誌39号掲載の「福神漬とカレーライス」でとりあげましたが、日本郵船においてカレーに福神漬がついていたことを裏付ける証言ではありません。可能性はありますが。

 

 いずれにせよ、日本郵船側に「カレーに福神漬をつけていた」ことを示す資料が存在しないことは確かなようです。

 

 小菅桂子さんによると、日本郵船福神漬の話は、元をたどると日本郵船ではなく酒悦にたどり着くらしいのです。

 

 それでは酒悦は何を根拠に主張しているのか。小菅さんによると、酒悦の近所にあるステーキ屋の主人の話が根拠になっているそうです。

 

 大切なことなのでもう一度いいます。日本で初めてカレーに福神漬を付けたのは日本郵船である、という根拠は、酒悦の近くのステーキ屋の主人の証言しかありません。日本郵船側には、証拠がないんです。

 

 このステーキ屋の主人は西さんという人で、かつて日本郵船の欧州航路のコックをしていたそうです。一等食堂は福神漬、二等三等は沢庵という話は西さんの証言によるものです。

 

 ただし、それがいつの話なのかは書いていません。酒悦のパンフレットには明治35、6年頃に日本郵船でカレーに福神漬をつけたという話が載っているそうですが、それが西さんの証言によるものかもわかりません。なぜ西さんは日本郵船が最初にカレーに福神漬をつけたと判断したのか、その理由もわかりません。

 

 一等船客用のチャツネがなくなったので代用品として福神漬を出した、という日本郵船の広報の話については、酒悦側にもその証拠はありません。これはデマ確定でしょう。

 

 このように、日本郵船福神漬の話は、その信憑性にいろいろと疑問符がつくのです。

 

 さて、これまでの話は「初めて」カレーに福神漬をつけたのは日本郵船であった、という話です。これについては信憑性に疑問がありますが、かといって否定する根拠もありません。

 

 これとは別に、カレーに福神漬をつける習慣は日本郵船から広がったという説がありますが、これはデマです。詳しくはと学会誌39号掲載の「福神漬とカレーライス」を参照してください。

http://www.togakkai.com/bn/