糸井重里と水野仁輔との蜜月関係の終わり その2

 

「カレースター計画」が終了し、夫婦であるならば別居あるいは離婚状態にある、「ほぼ日」糸井重里さんとカレー詐欺師水野仁輔さん。

 

カレースター計画が実質的に終了したのは2018年半ばのこと。「カレーの車」は6月に「ほぼ日」の手を離れ、「カレーの学校」は8月の募集が「ほぼ日」運営の最後であると告知されていました。

 

 

これだけならば「晴れて独立した」とも考えられますが、どうもそういったおめでたい事象ではなく、両者の間には溝があるようなのです。


「ほぼ日」は「生活のたのしみ展」というイベントを、今までに4回開催しています。

第1回(2017年3月)から第3回(2018年6月)までは、水野仁輔さんも出店していました。

 

ところが2019年4月の第4回には不参加。

 

「晴れて独立」ならば参加してもよいのでは、と思いますが。やはり両者の間にはなにかわだかまりがあるのでは。


カレーの学校の開始が2016年10月。

 

「ほぼ日」が水野さんを一生懸命プロデュースし、その名を世に広めようとした「カレースター計画」の開始が2017年6月。

 

カレーの学校は2年、カレースター計画にいたってはわずか1年で、物別れのような形で実質終了してしまうとは。


しかしながら、その予兆は2017年の秋には既にあったのです。

 

糸井重里さんのtwitterを「水野」「カレー」で全文検索すると、2017年8月29日のこのtweetが最後のtweet

 このtweet以降1年半以上も、水野仁輔さん及びカレースター計画について何も語らない沈黙状態になっているのです。

 

一方、水野仁輔さんのブログを「糸井」で検索すると、2017年9月17日の福島県相馬市のイベントが最後となっています。

www.curry-book.com


そしてその年の末には、水野さんは糸井さんが名付けた「カレースター」を自称するのをやめてしまいました。

 

2017年の9月末以降から年末にかけて、両者が決裂するような何かがあったとしか思えません。

 

そういえばこのブログが「カレースターの嘘にだまされないで 1」を書いて、盗作捏造を告発し始めたのが2017年9月21日でした。

hikaridept.hatenablog.com

 

ひょっとして糸井さんなりほぼ日のスタッフなりがこのブログを読んで、詐欺師水野仁輔さんの正体に気づいたのでしょうか?

 

たとえそうだとしても、それまでのアツアツの蜜月関係からすると、ここまで溝が深まるのは不可解なんですよね。

 

水野さんがどんな嘘をつくやもしれない「カレーの学校」は「ほぼ日」から追放するにせよ、被災地や生活のたのしみ展におけるカレー料理のコラボぐらい残しても良いと思うのですが。

 

やはり、水野仁輔さんが何か、信頼関係を損なうようなことをやらかしたのではないかと思うのです。

 


いずれにせよ、「ほぼ日」が水野さんと縁を切るのは正しい判断です。

 

私の知る限り、「ほぼ日」という会社は、単に便利な手帳を売る会社ではないと思います。

 

商品のあり方や、それを買う人との間に、誠実な関係性を持とうとする会社、それが「ほぼ日」のあり方のような印象を受けます。

 

そんな「ほぼ日」にとって、盗作や捏造で人を詐欺にかける水野仁輔さんは、水と油のような存在。招き入れてはいけない存在だったのです。

糸井重里と水野仁輔との蜜月関係の終わり その1

 

 

盗作と捏造のカレー詐欺師、水野仁輔さんは、かつて使っていた称号「カレースター」を、現在は名乗っていないそうです。

 

googleでカレースターを検索すると、盗作と捏造を告発した「カレースターの嘘にだまされないで」がそこそこ上位に来るようになったのに、名前ロンダリングされてはたまったものではありません。SEO台無しです。

 

スターという雄大な響きと、盗作と捏造でカレー詐欺をはたらくというセコさが好対照をなしていて面白かったのに。かさねがさね残念です。

 

カレースターという言葉自体も忘れ去られてしまうかもしれないので、しかたがなく「カレースター」が表題についている当ブログのエントリは「カレースター水野仁輔」に一律変更しました。 hikaridept.hatenablog.com

 

「カレースター」という名前は、かの糸井重里さんが名付けたものです。

有名コピーライターが授けた二つ名を捨ててしまうなんて、もったいない。

 

一体どういう理由でカレースターの名を捨てたのか。水野さんのブログを検索すると、2018年7月12日のエントリに次のような記述がありました。

 

www.curry-book.com

「確かにカレースターという肩書き(?)は去年の終わりに飽きてきたため、能動的には使わなくなった。」

 

飽きたから。実にかっこいいです。ロックです。天下の糸井重里さんが名付けた名前を「飽きたから」という理由で捨てる。なかなかできることではありません。大物感が漂います。


これはひょっとして裏でなにかあったのでは、と思っていたら、やはりなにかあったようです。

 

 

糸井重里さんは単に「カレースター」の称号を水野さんに与えただけではありません。上場企業「ほぼ日」をあげて水野さんを一生懸命プロデュースし、その名を世に広めようとしていました。

 

水野仁輔さんの名を世に知らしめるプロジェクトを「カレースター計画」といいます。

「カレースター計画」には、2本の柱があります。

 

一つは「カレーの学校」。水野さんを校長にした学校、というと大げさですが、カルチャースクールのようなものです。

www.1101.com

もう一つは「カレーの車」。カレーの移動販売ですね。

www.1101.com

「カレースター計画」のウェブサイトの先頭には、現在次のような注意書きが赤字で書かれています。

 

「※2018年11月30日をもって、ほぼ日でのカレースタープロジェクトは終了しました。」

 

www.1101.com

 

 

現在も「カレーの学校」「カレーの車」は継続していますが、糸井重里さんや「ほぼ日」とは関係のない主体に運用が移管されています。

 

これだけならば、「カレースター計画」が成功して、ほぼ日から独り立ちしたとも考えられますが、どうもそうではないようです。

 

2017年の末頃から、両者の間に不協和音が響いていました。

 

ちょうど、カレースターを自称しなくなった頃です。

 

あれほど蜜月状態にあった糸井重里さんと水野仁輔さんとの間に、なにかがあった。

 

カレースターを自称しなくなった背景には、両者の関係が疎遠になるなにかの事件が2017年の末頃にあった、と考えています。

 

いったい両者に何があったのか。次回は2016年、蜜月時代からのタイムラインを追ってみます。

百田尚樹さんが話題ですが、盗作と言えば水野仁輔さんも忘れないでください

 

 

百田尚樹さんのベストセラー日本国紀が、wikipediaから盗用していると話題ですね。ご本人も無断引用をお認めになっているようですが。

 

日本国紀ウィキペディア剽窃疑惑 - Enpedia

 

ちょっと待ってください。盗作といったら盗作と捏造のカレー詐欺師、水野仁輔さんも忘れないでください。

 

確かにベストセラー作家百田尚樹さんほど有名ではないので、盗作がバレてもあまり話題になりませんが、カレー業界では40冊以上本を出していることが売りの、そこそこ有名な人なんです。

 

もっとも、去年出版した「幻の黒船カレーを追え」の盗作と捏造がバレて、これまで年に数冊というハイペースで出版してきたのが、今年はたった1冊のみ。

 

盗作だけでなく、あからさまな嘘や捏造で読者を騙す気満々な人の本など、まっとうな出版社ならば怖くて出版できませんよね。

hikaridept.hatenablog.com

 

そこらへんが、無断引用や内容の是非について問題はあるかもしれませんが、主観的には読者を騙す気はない百田尚樹さんと、詐欺師水野仁輔さんが違うところです。

 

それはともかく、盗作と捏造のカレー詐欺師である水野仁輔さんは、もちろんWikipediaからも盗作しています。


Wikipwdia 山本権兵衛 2017年4月18日 (火) 13:24 時点(幻の黒船カレーを追え出版以前の版)
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%A8%A9%E5%85%B5%E8%A1%9B&oldid=63798040


艦上での食事の改良にも力を注ぎカレーライスや肉じゃがなど栄養価の高い斬新な献立を奨励し、乗組員の健康管理にまで目を配った。当時の日本では脚気が問題であったが、栄養価の高い食事や適度なパン食などで、乗組員の脚気はほぼ皆無になった

 

これを盗作した「幻の黒船カレーを追え」(kindle版なのでページが明記できませんが、「イギリスに渡った料理人」の章です)

 

日本海軍のトップ、海軍大臣として日露戦争を導した山本権兵衛(のちの内閣総理大臣)は、艦上での食事の改良にも力を注ぎカレーライスや肉じゃがなど栄養価の高い斬新な献立を奨励したという。そればかりか、イギリスからコックを招聘し、料理を習わせたとも言われている。カレーも学んだかもしれない。当時の日本では脚気が問題だったが、栄養価の高い食事や適度なパン食などで、乗組員の脚気はほぼ皆無になったそうだ

 

盗作した赤字の部分はいずれもwikipedia編集の人が創作したデマで事実ではありません。

 

兵食の改善により脚気を撲滅したのは高木兼寛。その時期は明治16年から18年にかけてで、その頃の山本権兵衛は一人の海軍士官に過ぎません。

 

肉じゃがが海軍レシピに登場するのは昭和13年の海軍厨業管理教科書が最初(東郷平八郎説はデマ)。その頃の山本権兵衛は、すでに死んでいます。

 

つまり水野さんはwikipediaのデマを盗作して本を書いているのですが、これはまだ、水野さんにしては工夫しているほうの盗作です。

 

NIKKEI STYLE WEB記事を盗作した部分などは、まるで工夫のないまるごとコピー、単なるコピペです。


カレーなぜ変身? 印→英→日、国民食の秘話
編集委員 小林明 2014/10/3

style.nikkei.com


1861年に出版された「ビートン夫人の家政読本」には、カレー粉の作り方とともに、小麦粉を使ってカレーにとろみを付ける調理法が多数紹介されている。つまり、英国で普及したカレーは、油脂で小麦粉をいためた「ルー」を使った西洋風煮込み料理にすでに姿を変えていたのだ。”


上記の記事を盗作した「幻の黒船カレーを追え」「とろみの誕生」の章。

 

1861年に出版された『ビートン夫人の家政読本』には、カレー粉の作り方とともに、小麦粉を使ってカレーにとろみを付ける調理法が多数紹介されている。つまり、イギリスで普及したカレーは、油脂で小麦粉を炒めた「ルウ」を使った西洋風煮込み料理にすでに姿を変えていたのだ。”

 

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この部分、問題は盗作にとどまりません。小林明さんが書いた内容が間違っているんです。”油脂で小麦粉をいためた「ルー」を使った”カレーレシピは「ビートン夫人の家政読本」に存在しないんです。

hikaridept.hatenablog.com


つまり小林明さんは「ビートン夫人の家政読本」を読んでいません。これはこれで問題かもしれませんが、さらに問題なのは盗作した水野仁輔さんの方です。

 

もちろん、水野仁輔さんも「ビートン夫人の家政読本」を読んでいません。しかし、小林明さんと違うところは、水野さんは大英図書館で「ビートン夫人の家政読本」を熟読したと明言しており、それが「幻の黒船カレーを追え」という本の目玉となっているのです。

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水野仁輔さんは読んでもいない「ビートン夫人の家政読本」を読んだと嘘をつき、盗作と捏造であたかも読んだかのようにふるまい読者を騙しました。

 

それだけではありません。大英図書館において多くのカレーレシピを読んだというのも嘘でした。水野さんは、「幻の黒船カレーを追え」に転載した、たった2つのカレーレシピさえ読んでいません。

 

hikaridept.hatenablog.com

それどころか水野さんは、日本語で書かれたカレーの歴史の本すらろくに読んでいません。詳しくは、本ブログの「カレースターの嘘にだまされないで」「カレースターの貧弱な知識と電波な思考」の各エントリを参照してください。

 

水野さんには、日本のカレーのルーツを探る気など、毛頭ないのです。

 

「幻の黒船カレーを追え」は、人を騙して稼ごうという詐欺師が書いた、詐欺のツールとしての本なのです。

 

そこが、いろいろ問題や議論はあるにせよ「作家」である百田尚樹さんと、「詐欺師」でしかない水野仁輔さんの、大きな違いなのです。

 

盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 5

 

盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演してまた嘘をつき、視聴者を騙しました。

 

天下のNHKなんですから、水野仁輔さんのような詐欺師ではなく、森枝卓士さんあたりをつれてくればいいのに、と思います。皆様の視聴料を詐欺師に注ぎ込まないで下さい。

 

水野仁輔さんがついた嘘は次のようなものです。

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 

一方、森枝卓士さんはカレーが普及しはじめた時期を、いつごろと考えていたのでしょうか。

 

1989年の「カレーライスと日本人」において、森枝卓士さんは様々な証言から、家庭にカレーが普及しはじめたのは大正時代からと結論づけます(P194)。

 

”話を聞いたかぎりでは、明治三十三年、西暦一九○○年生まれの八十八歳が最高齢であったから、明治時代のカレー経験を聞くのは、ほとんど不可能だった。が、それにしてもほとんど 大正に入ってからはじめて食べた、ということで一致していた。”

 

そして、一般論として、家庭に普及する前段階として雑誌書籍などのメディアでの紹介があり、そのさらに前にレストランなど外食産業での普及があるはずだ、と述べています(P188)。

 

つまり、森枝卓士さんの推測では、外食でのカレーの普及は明治時代、ということになります。これは今まで述べてきた具体的史実と一致します。

 

これはどういうことかというと、水野仁輔さんはカレー歴史本の古典、「カレーライスと日本人」を読んでいないということです。読んでいないので、関東大震災のころに徐々に一般に広まった、という嘘でごまかしたわけです。

 

水野仁輔さんはあちこちで「カレーライスと日本人」や森枝卓士さんを引き合いに出していますが、名前を出しているだけで実際には読んでいないのです。
http://dokushojin.com/article.html?i=2167

 

読んでもいない様々な本や著者の名前を出して「博識である」と錯覚させ、実際にはその場の即興で思いついた嘘をついて一般人を騙す。これが水野仁輔さんの常套手段です。

 

「幻の黒船カレーを追え!」においてもこの方法で詐欺を行いました。幻の黒船カレーを追え!には、大英図書館でビートン夫人の本を熟読したと書いてありますが、実際にはほとんど読まずに、写真を撮っただけで図書館を出ました。

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なので、あたかも読んだふりをするために、WEBからコピペして盗作せざるをえなかったのです。

hikaridept.hatenablog.com

 

水野仁輔さんにとっての誤算は、盗作先の筆者もまたビートン夫人の本を読んでおらず、その内容がでたらめであったということです。このことから、盗作がバレてしまいました。

 

盗作できない部分は、想像や断片的な知識で捏造した嘘の内容を書き込みました。なので、「幻の黒船カレーを追え!」に書いてあるビートン夫人の本の内容は実際の内容と異なる、でたらめが書かれているのです。

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盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 4

 

盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演してまた嘘をついていました。

 

カレー詐欺師水野仁輔さんに騙されないように、まずは以下のエントリを読んで下さい。

hikaridept.hatenablog.com

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さて、水野仁輔さんが探検バクモンでついた嘘は、次のようなものでした。

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 

例によってこれはカレーの歴史に無知な水野さんが捏造した嘘。明治30年代以降の東京においては、洋食屋台で安くカレーが提供され、明治の末には神田などの学生街で学生が日常的にカレーを食べていました。

 

今日は、神田や本郷における洋食の大衆化についてさらに詳しく見ていきます。

 

明治38年の月刊食道楽に、「妙なうまい物案内」という連載がありました。その連載5回目に、神田と本郷の洋食屋が取り上げられています。

 

当時の神田神保町、まさに現在のカレーの聖地に、「おとわ亭」という格安西洋料理屋がありました。値段は三銭均一。物価の文化史によると明治37年のかけそばが2銭、明治39年が3銭5厘ですから、西洋料理がかけそばと同じ安い値段で食べることができたわけです。

 

その味については「あまり美味くは無かつた」そうで、値段相応といったところだったのでしょう。

 

このおとわ亭、本郷や牛込神楽坂に支店を持っていたそうです。チェーン展開ですね。支店を増やして仕入れコスト等を下げていく方式、現在のファミレスなどの元祖とも言えるかもしれません。

 

このおとわ亭のビジネスモデルをまねたのが、大正半ばからチェーン展開を行った本郷バー、さらに震災後に起業した須田町食堂(現聚楽)などのチェーン店です。

 

大正から昭和初期に、レストランやカフェーなどの外食コングロマリットを形成した本郷バーの始まりも、神田神保町でした。明治42年に、創設者岡本正次郎が雇われコックから独立して開いた、7銭均一洋食小川軒がその始まりです。

 

不幸にして小川軒を火災で失った後、岡本正次郎は本郷に店を構えました。だから「本郷バー」なのですね。その後岡本正次郎は本郷バーのチェーン展開をきっかけに、巨万の富を築きました。

 

というわけで、戦前の神田神保町は、カレーの聖地ならぬ格安洋食の聖地であり、チェーン店の聖地でもあったわけです。

 

ではそれが現在のカレーの聖地につながったのかというと、多分関係ないのではないでしょうか。

 

水野仁輔さんというカレー詐欺師の嘘にだまされたがゆえに、関東大震災と神保町のカレーの関係という間違った方向性に迷い込んだNHK。

 

天下のNHKなんですから、水野仁輔さんのような知識のない虚言癖の持ち主ではなく、森枝卓士さんあたりをつれてくればいいのに、と思います。まだまだ続きます。

盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 3

盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演してまた嘘をついていました

 

カレー詐欺師水野仁輔さんに騙されないように、まずは以下のエントリを読んで下さい。

 

hikaridept.hatenablog.com

 

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さて、水野仁輔さんが探検バクモンでついた嘘は、次のようなものでした。

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 

例によってこれはカレーの歴史に無知な水野さんが捏造した嘘。明治30年代以降の東京においては、洋食屋台によって安くカレーが提供されていたことを、昨日は指摘しました。

 

明治30年代後半になると、店舗形式の大衆的な洋食店が一部の地域に隆盛します。その洋食大衆化の先進地域が、神田でした。明治の末にすでに、神田ではカレーを安く食べることができたのです。

 

明治41年発表の夏目漱石の小説三四郎には、本郷の淀見軒という店でライスカレーを食べる描写が出てきます。

 

”昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。”

 

このころには、本郷や神田などの学生街において、学生が自分の金でカレーを食べることはあたりまえになっていました。

 

明治43年に東京帝国大学に入学した夏目漱石の弟子、内田百閒は次のように述べています。

 

”学生の時分には方方に一品料理の西洋料理屋があってカツレツ、ビフテキ、オムレツ、コロッケなど懐の小遣の都合に従って簡単に食べることが出来た”(御馳走帖

 

実際の値段を見てみましょう。三四郎に出てきた本郷の淀見軒は実在する店舗です。三四郎が発表された前年の明治40年の月刊食道楽という雑誌にその淀見軒が紹介されています。

 

淀見軒ではビフテキなどを一品12銭で売っており、他の店の二倍の大きさだったそうです。一番人気は10銭のライスカレー。いついっても学生で満員だったそうです。

 

物価の文化史によると、明治40年当時かけそばが3銭だったそうですから、ライスカレー10銭は今でいうと600-800円前後、といったところでしょうか。淀見軒のライバルの本郷の天麩羅屋の天どんが、カレーと同じ10銭ですから、当たらずとも遠からずと思います。

 

同じ月刊食道楽には神田の泉屋、淡路町の寶亭という学生むけの洋食屋について書かれています。神田の泉屋は淀見軒と同じ値段で、いつも学生たちで満員だったそうです。

 

もっとも、神田の泉屋や本郷の淀見軒はまだ値段が高い方(量が通常の二倍なので、コスパはいいかもしれませんが)。明治30年代末以降、神田や本郷などの学生街では、洋食店の熾烈な価格競争が行われていたのです。

 

「学生街であること」。それが明治時代の神田で洋食の大衆化がおこった理由でした。明日はその、熾烈な価格競争の実際について書きます。

盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 2

 

盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演してまた嘘をついていました

 

カレー詐欺師水野仁輔さんに騙されないように、まずは以下のエントリを読んで下さい。

 

hikaridept.hatenablog.com

hikaridept.hatenablog.com

 

さて、水野仁輔さんが探検バクモンでついた嘘は、次のようなものでした。

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 http://o.x0.com/m/696372

 

東京においてカレーが徐々に一般に広まり始めたのは、水野さんがいうような関東大震災前後ではなく、明治30年代からです。

 

明治22年生まれの作家の久保田万太郎は、中学生の頃つまり明治30年代後半に、ライスカレーなどの洋食を食べ歩いていまし(町々…… 人々……)。

 

中学生にしては「ぜいたくな、生意気な」行為であったとはいえ、当時の浅草では、中学生が背伸びをすればカレーを食べられる状況にあったのです。

 

浅草などの繁華街限定とはいえ、カレーなどの西洋料理が安く食べられるようになったのは、明治30年代から東京に増殖した洋食屋台のおかげでした。


明治39年浅草生まれの寺村紘二は、小学6年つまり大正3年になると洋食屋台で8銭のライスカレーを食べるようになったといいます(浅草の小学生)


作家の吉川英治は、大正10年から14年にかけて新聞社に務めていました。「折々の記」には、安月給社員時代の食事についての記述があります。

 

”ぼくもまた、馳出し記者時代には、牛めし深川めし、三好野の強飯など迄、およそ、いかに安く、うまく、かつ滿腹するかに、苦心經營したものだつた。東京中の一品屋のライスカレーを食ひくらべ、どこの屋臺が最も安くて美味いかも知つた。

 

一品屋、つまり洋食屋台のカレーは、牛めし深川めしに並ぶ「安くて満腹になる」食事でした。

 

明治30年代後半になると、屋台だけでなく店舗形式で安い洋食を出す、大衆的な洋食屋が一部地域で盛んになります。

 

そして神田は、そのような大衆的洋食店が明治30年代から展開する、洋食大衆化の先進地域だったのです。