カエルカレーは実在した 3

さて、イギリス領香港のカエルカレーはいかにして日本の赤蛙カレーとなったのでしょうか?

 

1858年、日英修好通商条約が締結。香港に本店を持つイギリス系商社ジャーディン・マセソン商会は、開国後外国企業初の支店を横浜に開きます。

 

マセソン商会など、中国に拠点を持つイギリス商社の商人が、日本支店に派遣されたわけです。ということは、商人の中にはカエルカレー好きが含まれていたに違いありません。

 

なぜ、横浜や神戸に中華街があるのか。そして、(当初は)広東料理店、香港料理店が多かったのか。それは、開国後に中国人が欧米商社の実務担当として、あるいは独立商人として、香港や広東からやってきたからです。彼らの中にも、カエルカレー好きが含まれていたかもしれません。

 

さて、「幻の黒船カレーを追え」において、ロンドンのめぐみさんは”やっぱりどう考えても赤蛙はないでしょ”と判断しました。

 

私は逆です。赤蛙と聞いて、このカレーは日本で実際に食べられていたに違いない、と確信しました。これが普通のカエルならば、疑いの目を向けていたでしょう。

 

なぜなら江戸末期ー明治時代の江戸(東京)において、普通のカエルは売っていませんでしたが、赤蛙は生きたものを食用として売っていたからです。

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これは19世紀中頃の風俗をえがいた喜多川守貞の守貞漫稿における「赤蛙売」。京都大坂の赤蛙売は干物を売っていましたが、江戸では生きた赤蛙をその場でさばいて売っていました。カレーにピッタリです。

 

この赤蛙、食べるといっても薬として食べるもの。江戸(東京)の場合串に挿して醤油で付け焼きにして、子供に食べさせます。疳の虫の薬なのです。

 

関西では赤蛙を干物にして売っていたようなので、神戸の外人居留地では、カエルカレーの再現は難しかったでしょう。しかし、江戸=東京に近い横浜の外人居留地では、日本人に頼めば生きた赤蛙を入手できたことでしょう。実際に、明治時代の横浜にも赤蛙売がいました(明治物売図聚 三谷一馬 P222)。

 

というわけで、明治期の横浜でイギリス商人、あるいは中国人が赤蛙カレーを食べていた可能性は高いと考えます。

 

これは日本の洋食史を考える上で重要な知見です。いままで著者、由来が全くわからなかった西洋料理指南が、西洋料理通と同じく横浜のイギリス人由来である可能性が出てきたわけです。

 

さらに、西洋料理指南に香港料理の影響がないかを考慮する必要があると思います。というのは、仮名垣魯文の西洋料理通は当時のイギリス料理書そのままといっていいほど典型的なヴィクトリア朝料理が並んでいるのですが、西洋料理指南には、由来のよくわからない料理がいくつかあるのです。

 

さて、西洋料理指南の赤蛙カレーについては、1989年発行の「カレーライスと日本人」森枝卓士著において、以下の2つの仮説が提示されていました(P133)。小菅桂子著「カレーライスの誕生」もこれを踏襲しています。

 

・イギリス人に雇われた香港広東の中国人がカレーにカエルを入れるようになった
・フランス料理由来説

 

前者がおおよそ正解、ということになります。ただし、なぜ普通のカエルではなく赤蛙なのか、その理由まではたどり着けなかったようですが。

カエルカレーは実在した 2

150年前にカエルカレーは存在しました。これが明治5年に発行された西洋料理指南の赤蛙カレーにつながっていきます。

 

このカエルカレー、やたらと評判がいいです。

 

1880年に出版されたRound the North Hemisphere by Ernest A. Browne(P344)

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”ところで、昨晩の素晴らしいディナーの最後を飾ったカエルカレー、名前はアレだが、本当に美味しかった”

 

カエルカレーはB級グルメではなく、正式なディナーの一品として出される料理だったようです。

 

1887年に出版されたThe Illustrated Naval and Military Magazine - Volume 6(P118)

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”夕食はカエルカレーだった。ダントツにおいしい”

 

1859年に出版されたTo China and Back: Being a Diary Kept, Out and Home by Albert Smith(P36)

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”カエルカレーを食べた。素晴らしい味だった”

 

1888年に出版されたOrient and Occident: A Journey East from Lahore to Liverpool by Reginald Colville William Mitford(P38)

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”夕食はカエルカレーだった。とびぬけたおいしさ”

 

さて、「中国」とか「旅」とか、本の題名からうすうすと感じていたかもしれませんが、このカエルカレーが出されていた場所は、イギリスといってもブリテン島ではなく、香港島=イギリス領香港の話です。

 

カエルカレーは、150年前のイギリス領香港の名物料理でした。

 

1883年に発行された中国語会話の指南書、Idiomatic Dialogues in the Peking Colloquial for the Use of Studentsには、例文にカエルカレーが出てきます。

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それほど、香港などの旅先でカエルカレーを注文する人が多かったのでしょう。

 

1869年発行のLeaves from My Log: A Naval Officers's Recollections of Personal Adventures by Cassell, Petter, and Galpin(P32)では、広東のおそらく黄埔Whampoa近くでカエルカレーを食べています。香港だけでなく、香港周辺にもカエルカレーが波及していたのかもしれません。

 

ご存知の通り香港は、アヘン戦争後の1842年にイギリス領となります。そこでイギリスのカレー文化と、中国のカエル食文化が融合して、香港名物カエルカレーが生まれたのでしょう。

 

そして1858年、日英修好通商条約が締結。開国した日本に、カエルカレー好きのイギリス商人がやってくることになります。明日に続きます。

カエルカレーは実在した 1

さて、明治5年に発行された西洋料理指南は、西洋料理通と並んで、現存する最古のカレーレシピが載っている本です。

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材料の一つに赤蛙がでてきます。よく、日本最古のカレーレシピはカエルを使った、というトリビアに引っ張り出されるレシピがこれです。

 

「幻の黒船カレーを追え」において、水野さんはロンドンの友人めぐみさんから次のようなメールを受け取ります。

 

”『西洋料理指南』に出てくる赤蛙は、”誤訳”だったんじゃないかと思う。やっぱりどう考えても赤蛙はないでしょ。イギリスで昔から料理に使われている地鶏があって、それは『RED FOWL』って呼ばれているの。これを誤訳したんじゃないのかな。”

 

これはあくまで、資料の裏付けのない仮説の一つ(後に述べるように他にも仮説はあります)なのですが、このメールに対する水野さんのリアクション芸がものすごい。

 

”メールの文面を読みながら心臓がバクバクするのがわかった。

 

”東京の自宅で深夜に一人、確信を持った僕は、長年、まことしやかに語り継がれてきた日本のカレー史がガラガラと音を立てて崩れ落ちてゆくイメージが頭の中を駆け抜けた。すごい!すごい発見だよ!もし、めぐみさんが遠くロンドンではなく、目の前にいたら、僕は全力でめぐみさんを抱きしめていたかもしれない。それはどんな文献にも指摘されていないことで、僕はノーベル賞を取ったような気持ちになった。

 

赤蛙程度でガラガラと音を立てて崩れ落ちてゆくカレー史。日本のカレー史もノーベル賞も随分と安っぽくなったものです。

 

”赤蛙は地鶏の誤訳”説は、資料の裏付けのない、複数の仮説のうちの一つ。証拠もなしにそんなにはしゃいだら、その仮説が間違っていたとわかったときに、はしごを外されて恥ずかしい思いをするだけです。

 

では、今からそのはしごを外します。”赤蛙は地鶏の誤訳”説は間違いです。

 

なぜなら、カエルカレーは150年前に実在していたからです。また、日本において赤蛙のカレーが作られ、食べられていた可能性は高いと考えます。

 

証拠となる資料を提出していきましょう。

 

The Illustrated London Newsの1857年7月18日号、74ページに次のような記事が載っています。

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字が潰れて読みにくいので、文字を書き起こします。

 

"but the English have a dish which would surprise you - no less a one than frog curry ; and, to tell the truth, it is the most delicious thing I ever tasted. I never saw frogs eaten in France, and Englishmen here think them a luxury."

 

”イギリス人はあなたが聞いて驚くような料理を食べる。カエルカレーだ。冗談ではなく、生涯食べたものの中でこれほど美味しいと思ったものはない。私はフランスの食用ガエルを見たことはないが、ここのイギリス人はフランスの食用ガエルは贅沢品だと思っている。”

 

絶賛されるカエルカレー。まだまだ、資料はたくさんあります。明日に続きます。

カレースターの貧弱な知識と電波な思考 5

さて、ダイジェスト版でイギリスカレーの「まっとうな」歴史を確認した後で、あらためて水野仁輔さんのデタラメなイギリスカレー史を見てみましょう。

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「幻の黒船カレーを追え」を読んではいないが、水野仁輔さんの独特なカレー史に興味ある方は、ほぼ日の連載を読んで下さい。すぐ読み終わります。短いですが、これが水野さんのイギリスカレー史の全てなのです。要約版ではありません。


http://www.1101.com/curryschool/shoutai/2017-03-05.html

 

水野仁輔さんは、カレー粉を使ったブリティッシュカレーが生まれるのは、1877年以降だと主張します。

 

”1877年、ヴィクトリアを皇帝として推戴するイギリス領インド帝国が成立する。ここから加速度的にインド人がイギリスに流入し、インド料理も伝播するようになった。そんな状況下、インド料理からブリティッシュカレーが生まれたのである。”

 

もちろん、これはデマです。カレー粉を使ったカレーレシピはこの100年前、1777年にはすでに存在します。

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水野さんは、1861年のビートン夫人の料理書を”ブリティッシュカレーのレシピを残す最古の書物1845年に料理書を出版したイライザ・アクトンを”現時点ではイギリスで最も古いブリティッシュカレーのレシピを残した人物”という主張をしていたはずです。

 

いずれも1877年より前の話です。ブリティッシュカレーが1877年以降にインド移民によって作られたという自説と、時系列が矛盾します。

 

1800年代初頭にC&Bがカレー粉を販売し、イギリス全土に広まったと「幻の黒船カレーを追え」にあります。それでは、1877年までの数十年間、カレー粉は何に使われていたのでしょうか?

 

水野さんは”イギリスからブリティッシュカレーがやってきたのは、明治維新の頃”と主張しますが、1877年以降にブリティッシュカレーが生まれたのならば、1868年の明治維新に間に合いません。明治5年(1872)年に発行された、日本初のカレーレシピが載っている西洋料理通と西洋料理指南にも間に合わないのですが?

 

このように、水野さんのカレー史は内部矛盾をかかえています。なぜなら、事実とかけ離れた、デタラメで構成されているからです。

 

水野さんは、イギリスの伝統的カレー(ブリティッシュカレー)は、アングロインディアンカレーの隆盛によって衰退していったと考えます。後者の代表的メニューがチキンティッカマサラだそうです。

 

”その点、ブリティッシュカレーとは一線を画すカレーが当時のイギリスにはすでに存在していた。それは、アングロインディアンカレー(料理)である。”


”軍配は、アングロインディアンカレーに上がることになる。”

 

”勝利をおさめたアングロインディアンカレーの代表格と呼べるのが、“チキンティッカマサラ”というカレーである。”

 

実際には、東インド会社が解散した1858年から、アングロインディアンカレーは衰退してゆきました。現在のイギリスのカレーは主にバングラディッシュ移民が支えており、チキンティッカマサラも彼らの発明です。

 

水野仁輔さんが深い考えも知識もなく、場当たり的にデタラメな歴史を捏造していることがおわかりいただけたでしょうか。

ダイジェスト版イギリスのカレー史

「幻の黒船カレーを追え」を読んでも、そこにあるのはデタラメ、嘘、捏造だけです。

 

不幸にも「幻の黒船カレーを追え」を読んでしまった人のデトックス用に、イギリスのカレー史をダイジェストとしてまとめます。

 

テキストはインドカレー伝(リジー・コリンガム 河出書房新社版ハードカバー 以下ページ表示はLPxxx)、カレーの歴史(コリーン・テイラー・セン 以下ページ表示はCPxxx)。これに、若干自分の研究を交えます。

 

イギリスのカレーの歴史は東インド会社に始まります。17世紀に東インド会社がインドに拠点を置くようになった後、現地にイギリス人が駐留するようになります。今でいう、海外駐在商社マンのようなものです。

 

飛行機どころか蒸気船もスエズ運河もない時代です。喜望峰周りで帆船で行き来するしかない時代、赴任先の生活は現在と違い大変不便なものでした。

 

まず、イギリス本国から食料をもちこむには、輸送コストが高すぎます。そこで日常食は、現地の食材を使った現地の料理を、イギリス人好みにアレンジしたものとなりました。

 

また、遠く不便で危険な地に好んで移住するイギリス人女性などいないので、海外駐在員はインド人女性を妻に持つようになります。

 

こうして食文化においても血筋においてもインドに溶け込んでいった東インド会社駐在員を、アングロインディアン(イギリス系インド人)、彼らが独自に発展させたカレーなどの料理を、アングロインディアン料理と呼ぶようになります。(LP144-150, CP30-31)

 

アングロインディアンカレーは、特定の地方の料理ではなく、インド各地の料理をミックスしたものでした。これは、東インド会社社員がインド各地を移動する機会が多かったからです。(LP155-160, CP45)

 

カレーに合わせる主食は、ナンやチャパティなどの小麦粉製品ではなく、米でした。インドカレー伝、カレーの歴史にはその理由は書いていませんが、東インド会社の主要拠点、カルカッタボンベイマドラスが米を盛んに食べる地域だったからではと、私は推測します。

 

1757年のプラッシーの戦い後、1758年東インド会社は解散、18世紀末にアングロインディアンがイギリスに帰国するようになり、アングロインディアンカレーを持ち込むようになります。(LP169-173, CP49)

 

他にも様々な方法でイギリスにアングロインディアンカレーが伝わり(LP174)、18世紀のイギリスでカレーが受け入れられるようになります。

 

リジー・コリンガム曰く、イギリス人がカレーを受け入れたのは”イギリス料理の単調な味付け”が理由だそうです。イギリス料理がまずかったから、ということですね。(LP176)

 

アングロインディアンカレーは、イギリス本土で変容を受けます。スパイスを直接使うのではなく、粉末にしたミックススパイス、いわゆるカレー粉を使うようになります。(LP182-187)

 

インドではアーモンド、ココナッツクリーム、タマネギペーストで出した粘りを、小麦粉をつかって再現するようになります。(LP187)

 

こうして、遅くとも18世紀末までに、カレー粉と小麦粉を使い、タマネギをアメ色に炒めたイギリスのカレーが生まれます(この部分は私の料理本研究からです)。これが数十年後に日本に伝わるカレーです。

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さて、1858年に東インド会社は廃止され、アングロインディアン文化は衰退してゆきます。新しく植民地インド帝国の文官となったイギリス人は、イギリス人の妻を娶り、スエズ運河から蒸気船で食料品を持ち込み、イギリスそのままの生活をインドで再現しました。彼らはもう、カレーを食べなくなったのです。(LP196-205, CP39-40)

 

衰退したアングロインディアンカレーにかわって、イギリス本土に新たなカレーの文化をもたらしたのは、バングラディッシュからの移民でした。

 

ベンガル(現バングラディッシュ)のシルヘット地方は、イギリス船の水夫を輩出してきた地域です。この水夫が20世紀以降、イギリスに移住しカレーレストランを開きます。(LP287-205, CP59)

 

1950-60年代にもシルヘットから移民が流入します。彼らはフィッシュアンドチップス店を開きます。フィッシュアンドチップス店にカレーディップがあるのはシルヘット移民の影響によるものです。やがて、シルヘット移民はフィッシュアンドチップス店からインド料理店に転業してゆきます。(LP287-205, CP59)

 

こうした新興のインド料理店によりチキンティッカマサラ、バルティなどの新メニューが開発される一方(LP307, CP66-67)、イギリスの伝統的カレーやアングロインディアンカレーは衰退してゆくことになります。

カレースターの貧弱な知識と電波な思考 4

カレースターと称している水野仁輔さんの著作、幻の黒船カレーを追えはデタラメ、嘘、捏造だらけの悪質な本です。

 

日本のカレーのルーツであるイギリスのカレーの歴史を知りたいならば、幻の黒船カレーを追えを買ってはいけません。お金と時間を代償にして手に入るのは、嘘やデマ情報ばかりです。

 

さて、水野さんは次のように主張します。

 

”これまでカレー史では、この1861年に出されたビートンの本が、ブリティッシュカレーのレシピを残す最古の書物だとされてきた”(幻の黒船カレーを追えP234)

 

そんなデタラメなカレー史は水野さんの脳内にしか存在しません。

 

水野さんはビートン夫人の料理書を含めイギリスの料理書を読みません。そして読んでいないのに読んだと嘘をついています。さらに、インドカレー伝(リジー・コリンガム)、カレーの歴史(コリーン・テイラー・セン)といった、日本語に訳されたイギリスのカレー史本すら読んでいません。

 

つまり、水野さんの頭の中のカレー史の知識は、空っぽなのです。空っぽの知識倉庫の中に、電波によって突如歴史が”創造”されるのです。

 

水野さんが電波を受信したのは、おそらく在ロンドン40年の前川ゆき子さんから以下の話を聞いたときだと思われます。

 

”イギリスで独自に生まれたカレーは、ある料理家が書いたレシピ本がキッカケだったという。その名はミセス・ビートン”(幻の黒船カレーを追えP109)

 

言葉は悪いですが、前川さんはイギリスカレー史に詳しいわけでもない普通の人と思われます。その前川さんの一言で、水野さんの空っぽの脳内に突然電波が流れ、

 

”これまでカレー史では、この1861年に出されたビートンの本が、ブリティッシュカレーのレシピを残す最古の書物だとされてきた”

 

という水野カレー史が創造されるのです。

 

ひょっとすると、前川さんはそんなことは言っておらず、全ては水野さんの脳内で完結している妄想なのかもしれませんが、そこは常人の推し量れる範疇を超えています。

 

さて、次に水野さんが電波を受信するのは、BBCの番組(おそらくVICTORIAN FARM)を見たときです。ここで水野さんはイライザ・アクトンの名前を初めて知ります。

 

インドカレー伝(リジー・コリンガム)、カレーの歴史(コリーン・テイラー・セン)にも取り上げられているイライザ・アクトンを知らないとは驚きですが、仕方がありません。水野さんの知識は空っぽですから。水野さんは本を読んで学ぶということをしないのです。

 

水野さんの脳内カレー史は、何かしらの電波によって、イライザ・アクトンを最古の”ブリティッシュカレーのレシピを残した人物”と認定します。もちろん事実は異なり、19世紀初頭からそのような料理本は存在するのですが。

 

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”イライザは、現時点ではイギリスで最も古いブリティッシュカレーのレシピを残した人物と言える。ミセス・ビートンのレシピが歴史的価値を持ち続けてきたカレーの世界に颯爽と現れたわけだ”(幻の黒船カレーを追えP263)

 

颯爽と現れたのはカレーの世界ではなく、水野さんの脳の中なのですが、その脳内が水野さんのカレーの世界、カレーの歴史のすべてなので、主観的にはこれであっていることになるのでしょう。

カレースターの貧弱な知識と電波な思考 3

カレースターと称している水野仁輔さんの著作、幻の黒船カレーを追えはデタラメ、嘘、捏造だらけの悪質な本です。

 

日本のカレーのルーツであるイギリスのカレーの歴史を知りたいならば、幻の黒船カレーを追えを買ってはいけません。お金と時間を代償にして手に入るのは、嘘やデマ情報ばかりです。

 

チキンティッカマサラ以外にも、水野さんの不思議な歴史創造術は存在します。今回はカレーに関するイギリスの料理本の歴史についてです。

 

イギリスで最初にカレーレシピを掲載した本は、1747年発行のThe Art of Cookery, Made Plain and Easy by Hannah Glasseです。ただし、カレー粉は使用しておらず、小麦粉でとろみをつけることもしていません。

 

これについては、「幻の黒船カレーを追え」においても正しく記述されています。事実とくい違ってくるのはこれ以降です。

 

私が持っている料理書の中では、1777年発行のThe Lady's Assistant for Regulating and Supplying Her table by Charlotte Masonが、カレー粉を使ったカレーレシピを掲載した最古の本です。

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一般には、1784年の広告がカレー粉の最古の記録といわれていますが、こちらのほうが古い記録となります。

 

ちなみに、Edmund CrosseとThomas BlackwellがC&Bを設立したのは1819年なので、&Bがカレー粉を発明したというのはデマです。英語圏では見たことがないデマなので、おそらく日本国内にのみ流布するデマでしょう。

https://www.crosseandblackwell.co.uk/about-us/

 

このThe Lady's Assistant for Regulating and Supplying Her table by Charlotte Masonのカレーレシピでは、タマネギをアメ色(brown)に炒めています。イギリスでは二百数十年前から、タマネギをアメ色に炒めていたわけです。タマネギをアメ色に炒めるのは日本独自の文化だという水野仁輔さんの主張はデマです。

 

小麦粉でとろみをつけるカレーレシピは、1802年のThe Art of Cookery Made Easy and Refined by John Mollardに登場します。シーフード(ロブスター)カレーもここに登場します。

 

といっても、あくまで私の手持ちの料理書の中では最古というだけです。おそらく18世紀末までには、カレー粉を使い、タマネギをアメ色に炒め、小麦粉でとろみをつけるというイギリスのカレースタイルが確立したと思われます。シーフードカレーもこの時期に誕生したと思われます。

 

一方、余り肉(cold meat)を利用したカレーはこの時期には登場していません。下記の大ヒット料理本、Rundellやイライザ・アクトンの料理本にも登場しません。”昔からブリティッシュカレーでは(中略)食べ残した肉を使うのが主流だ”(幻の黒船カレーを追えP30)という水野さんの主張はデマです。

 

1807年、A New System Of Domestic Cookery 'A Lady' (Mrs. Maria Eliza Ketelby Rundell)が出版され、大ヒットとなります。3つのレシピのうち2つはシーフードカレー(鱈 ロブスター ロブスターカレーのレシピは不備があり1809年版で修正)、3つともカレー粉、小麦粉、アメ色に炒めたタマネギを使うというイギリス伝統のカレーです。

 

19世紀の大ヒット料理本といえば、このRundellの本と、イライザ・アクトンのModern Cookery for Private Families、ビートン夫人のThe Book of Household Managementの3冊があげられます。後者2つの本のカレーレシピについてはすでに解説済みです。

 

インドカレー伝(リジー・コリンガム)、カレーの歴史(コリーン・テイラー・セン)には、これ以外にもたくさんの料理本が登場し、様々な切り口からイギリスのカレーの歴史を解説してくれます。

 

さて、水野仁輔さんは、最古のカレーレシピ本、1747年発行のThe Art of Cookery, Made Plain and Easy by Hannah Glasse以降の料理本を、どう評価しているのでしょうか。

 

”これまでカレー史では、この1861年に出されたビートンの本が、ブリティッシュカレーのレシピを残す最古の書物だとされてきた”(幻の黒船カレーを追えP234)

 

彼の脳内のカレー料理本史は、1747年から1861年まで100年以上、空白だったのです。

 

明日は、この水野流”カレー史”が、どんな電波を受信して形成されたのかを検証してゆきます。