盗作、捏造の水野仁輔さん、NHK探検バクモンに出演する 3

盗作、捏造のカレー詐欺師水野仁輔さんが、NHK探検バクモン「カレーの聖地!神田の謎」に出演してまた嘘をついていました

 

カレー詐欺師水野仁輔さんに騙されないように、まずは以下のエントリを読んで下さい。

 

hikaridept.hatenablog.com

 

hikaridept.hatenablog.com

 

さて、水野仁輔さんが探検バクモンでついた嘘は、次のようなものでした。

 

>およそ150年前明治時代の文明開化とともにイギリスから伝わったカレーは当初庶民には手の届かない高級品だった。しかし関東大震災のころには国産のカレー粉が作られるようになり徐々に一般に広まり始めていたそうだ。

 

例によってこれはカレーの歴史に無知な水野さんが捏造した嘘。明治30年代以降の東京においては、洋食屋台によって安くカレーが提供されていたことを、昨日は指摘しました。

 

明治30年代後半になると、店舗形式の大衆的な洋食店が一部の地域に隆盛します。その洋食大衆化の先進地域が、神田でした。明治の末にすでに、神田ではカレーを安く食べることができたのです。

 

明治41年発表の夏目漱石の小説三四郎には、本郷の淀見軒という店でライスカレーを食べる描写が出てきます。

 

”昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。”

 

このころには、本郷や神田などの学生街において、学生が自分の金でカレーを食べることはあたりまえになっていました。

 

明治43年に東京帝国大学に入学した夏目漱石の弟子、内田百閒は次のように述べています。

 

”学生の時分には方方に一品料理の西洋料理屋があってカツレツ、ビフテキ、オムレツ、コロッケなど懐の小遣の都合に従って簡単に食べることが出来た”(御馳走帖

 

実際の値段を見てみましょう。三四郎に出てきた本郷の淀見軒は実在する店舗です。三四郎が発表された前年の明治40年の月刊食道楽という雑誌にその淀見軒が紹介されています。

 

淀見軒ではビフテキなどを一品12銭で売っており、他の店の二倍の大きさだったそうです。一番人気は10銭のライスカレー。いついっても学生で満員だったそうです。

 

物価の文化史によると、明治40年当時かけそばが3銭だったそうですから、ライスカレー10銭は今でいうと600-800円前後、といったところでしょうか。淀見軒のライバルの本郷の天麩羅屋の天どんが、カレーと同じ10銭ですから、当たらずとも遠からずと思います。

 

同じ月刊食道楽には神田の泉屋、淡路町の寶亭という学生むけの洋食屋について書かれています。神田の泉屋は淀見軒と同じ値段で、いつも学生たちで満員だったそうです。

 

もっとも、神田の泉屋や本郷の淀見軒はまだ値段が高い方(量が通常の二倍なので、コスパはいいかもしれませんが)。明治30年代末以降、神田や本郷などの学生街では、洋食店の熾烈な価格競争が行われていたのです。

 

「学生街であること」。それが明治時代の神田で洋食の大衆化がおこった理由でした。明日はその、熾烈な価格競争の実際について書きます。